宿命というのは、私たち一人ひとりにとって、人生のより深い次元、根源的なレベルのことを問題にしたものを指します。そして、“宿命大殺界”とは、必ずしも悪いことが起こったりトラブルに見舞われたりすることを意味しているわけではありません。その時期、どの星があなたの「宿命」を支配しているかによって、その星に備わる特徴が目立って出てくるのです。そして、その時期の過ごし方、というより生き方によって、大きく飛躍するか、それとも大きく落ち込むか、どちらかの道をたどります。
| 「運命」とは、常に変化し続ける「時間」のこと |
運命とは「時間」のことで、日々刻々変わっていくものです。というのも、運命は時間の流れにもとづいて、一人ひとりの生きるエネルギーの変化を説いているからです。そして、その“取り扱い範囲”は、生まれてから死ぬまでの間です。時間そのものは、だれ彼に関係なく、常に存在していますし、たまたま生を受けている間に私たちが感じ取るものです。 というと、なんだかわかりにくい感じがするかもしれません。そこで私は、運命をよく衣食住にたとえて説明させていただいています。 「衣」も「食」も、そして「住」もすべて、時間や季節によって、その内容が変わっていきます。夏の暑い盛りにオーバーを着込んで歩きまわる人はいません。朝、起きしなに焼き肉を食べたいと思う人はいません。冬の寒いときに、窓を開けたり扇風機をまわしたりする人はいません。 |
|---|---|
| 人間の変化を統計学にもとづいて法則化した「六星占術」 |
それと同じで、衣食住は、常に「時(間)」と密接にかかわっています。「時」にかなった生き方、暮らし向きを人間は自然のうちに送ろうとしていますし、それがかなわないと、ほとんどの場合、体調を崩し、人によっては重い病に臥せることもあります。運命もまた、それとまったく同じ原理にのっとったものです。「時」に応じて、めまぐるしく変化していくものなのです。そして、現実の人生を送る私たちも、その変化を読み取る必要があります。 しかも、いうまでもないことですが、この「時(間)」というのは、私たち人間の意思でつくったものではありません。私たちがいようがいまいが、もともと大宇宙とともに存在し続けているものです。当然、そこには大宇宙のリズムが刻まれており、それによって、私たち一人ひとりの、生きるエネルギーの中身も変化していきます。 生きるエネルギーというと、ちょっとむずかしく聞こえるかもしれませんが、次のように説明するとわかりやすいかもしれません。 たとえば、どんな人も経験があると思いますが、朝起きたとき、ひじょうにすっきりと、また体の内側から元気があふれでてくるような目覚め方をするときもあれば、逆に、もっと眠っていたい、今日はできれば仕事を休みたい、あるいは何もしたくないといった気持ちのときもあります。 もちろん、直接の原因は、その前日、お酒を飲みすぎたとか、夜ふかしをしてしまったなど、さまざまなことがあるでしょう。しかし、そうした要因を取り除いてもなお、毎日毎日、朝、目覚めた瞬間のコンディションには違いがあるものです。日中、仕事をしていてもそうではありませんか。すこぶる仕事がはかどる日もあれば、ちっとも集中できないときなど、その日その日、また時間帯によって、体調や仕事のはかどり具合は微妙に違うものです。 あるいは、人間関係を考えてみてください。同じ相手に同じ言葉を口にしても、その日、そのときによって、相手の反応は違います。また、相手が替われば、それはもっと大きく変化します。場合によっては、まったく逆の結果を生むことさえあります。 そうした変化・違いに、私たちはしばしば戸惑いを感じることでしょう。時と場合によっては、自分自身が落ち込んだりすることもあります。もちろん、反対に、大喜びすることもあります。そしてこれが、「時」によって、人間の体調、精神的コンディションが変化している証でもあります。そうした変化を、統計学にもとづいて法則化したのが、運命を読む「六星占術」です。 |
| 死ぬまで繰り返される12の運気 |
「運命を読む」などというと、占い、予言、当てずっぽうのように思えるかもしれませんが、本当はそうしたものではありません。たしかに、うわべは「占い」という形をとり、多くの人の興味をひくようになってはいますが、実際は、そんなお遊び半分といったたぐいのものではありません。もっともっと深い、人間の生き方、とくに「時」に従った生き方を教えてくれる、ひじょうに貴重なものなのです。 ですから、きちんとした占いは、かならず「時間」や「時刻」をもとに理論が成り立っています。私の編み出した「六星占術」もそうです。その人の生まれた年・月・日をもとに、その人が一生涯にわたって刻んでいく、エネルギーのリズムを説き明かしています。 厳密には、同じ日に生まれた人であっても、時間・分・秒・・・とさらに細かく分けていけば、一人ひとりすべて違います。ただ、そこまで細分化することはいささか無理があるため、とりあえず「日」までにとどめて、判断しているわけです。その結果、多少アバウトになる部分も出てきますが、それはある意味でいたしかたのないことと思ってください。 さて、そうした根本原理にのっとって「六星占術」は構成されています。ですから、それが追いかけていく対象は、いつも「時」です。あなたの1日のエネルギーの状態がどうなっているか、また1週間、1か月、そして1年・・・のエネルギーの状態はどうかということを、12の運気に分けて説明していきます。 どんな人も例外なく、生まれた瞬間から死ぬそのときまで、この12の運気を繰り返しながら生きていきます。そして、この12の運気は、自然界でたとえていうと、ちょうど四季のような順序で進んでいくのです。 それを示してくれるのが、「六星占術」で用いる「占命盤」です。「占命盤」は、一見すると単純な内容しか書かれていないように思えますが、実はひじょうに深い考えにもとづいてつくられています。 |
| 「占命盤」の十二支は実際の動物とは無関係 |
たとえば、まず第一に、そこでは四季とはどういうことなのかが説明されています。 「占命盤」のいちばん上は「子」とあります。以下、右まわりに「丑」「寅」・・・と続きますが、みなさんもご存じのように、これは「十二支」を意味しています。「十二支」というと、だれもが具体的な動物をイメージすることでしょう。しかし、占術で使われている「十二支」は、実際の動物とはまったく関係がありません。たとえば、「子」はあくまで「子」であって「ねずみ」ではないということです。 「占命盤」で、いちばん上にある「子」のところを見ると、12月と記されています。12月という時期がどのような時期なのか、ちょっと考えてみてください。まず、思い当たるのは、寒い季節であるということです。 そういう時期、人間は外に出たいと思うでしょうか。できれば、暖かいところでじっとしていたいと思うのが、自然な姿でしょう。そのため、「子(=12月)」は、じっとしている、辛抱強いといったことを意味しています。つまり、具体的な動物「ねずみ」とはなんの関係もないのです。 それを私たちは、「子」→「ねずみ」、「丑」→「牛」、「寅」→「虎」・・・とすべて動物を当てはめて考えています。しかし、実際には、「十二支」のどれひとつとして、動物を示す漢字と同じものはありません。子−鼠、丑−牛、寅−虎、卯−兎、辰−竜、巳−蛇、午−馬、未−羊、申−猿、酉−鳥、戌−犬、亥−猪と、具体的な動物を指し示す漢字と、十二支で使われている漢字はどれも違っています。 つまり、具体的な動物と十二支とは、もともとまったく関係がないのです。それを後世の人々が、十二支の原理をよりわかりやすく説明するために、具体的な動物をそれぞれに当てはめ、いかにももっともらしい理屈をつけたにすぎません。その際、それぞれの動物のイメージがひじょうに上手に取り込まれているため、私たちはついついそういう考え方をしてしまいがちです。 じっくり考えれば、そのことのおかしさに気付くはずなのですが、話のタネとして面白いということもあり、ヘビ年生まれの人=お金儲けがうまい、執念深いとか、サル年生まれの人=おっちょこちょい・・・などといった、もっともらしい十二支占いのようなものまでできています。 |
| 「子」の刻は午前0時、「子」の月は12月 |
では、十二支とはいったい何を意味しているのでしょうか。それはズバリ、「時」なのです。
を指しているわけです。「占命盤」を時計に見立てて考えると、それがよくお分かりにいただけると思います。 そして、これは月にも当てはまり、「子」は12月、「丑」は1月、・・・「戌」が10月、「亥」が11月と、ここでもやはりそれぞれに月が割り当てられています。これはさらに、年にも及んでいて、その年の「十二支」と一致するように、年の位置もまた決まっています。 |
| 「宿命」とは、運命の土台にある「方向性」 |
「運命」だけで、人間の一生を論じることはできません。正確に読み取ろうと思えば、かならず「宿命」についても見ていく必要があるのです。では、「宿命」はどのようにして見るのでしょうか。ここでは、その基本的な考え方についてお話しすることにします。 まず、「宿命」とは何かということです。これは、運命の土台にある「方向性」です。同じ土星人の運命を持っていても、その人がどんな「方向性」を持っているかによって、その運命のあらわれ方は変わってきます。 私自身も土星人(+)ですが、私の場合、かつてはビジネスを営んでいました。しかし、ある時期を境に、現在のような神相学の研究に時間をかけるようになりました。もちろん、そのままビジネスを続けることもできたでしょう。その場合の私と、現在の私とでは、土星人(+)であることには変わりなくても、「運命」の内容はかなり違っていたと思います。 それと同じように、たとえば作家を志している人、あるいは看護婦をしている人、あるいは家庭におさまって主婦をしている人など、それぞれの立場・境遇に応じて、運命の方向性は違います。これは、その人その人で、「宿命星」が異なっているからです。 |
|---|---|
| なぜ、好運気なのにいいことが起きないのか? |
「宿命」を見る場合、「六星占術」の運気が一番ストレートに出てくるのは、そのときの「宿命星」にピタリと合った生き方をしている人です。 たとえば、創造性を生かす仕事を志すといいとされる「宿命星」の支配下にあるとき、運気が<再会><財成><安定>であれば、その才能は大いに伸び、また人々からも高く評価されるはずです。 しかし、そうでない生き方をしている人の場合、せっかくの好運気を迎えても、いまひとつパッとしない感じがあります。
という疑問が湧き起こってくることすら考えられます。もちろん、“大殺界”のときのように悪いことがたて続けに起こったりすることはないのですが、それにしても・・・という感じが常につきまとうことでしょう。 なぜそういうことになるのでしょうか。それは、「宿命星」の指し示す方向と異なる方向で生きているからです。わかりやすくいうと、自分に合ったこと、自分の好きなことをしているかどうかです。もちろん、だれもがみな、自分の好きなことをしているわけではありません。というより、ほとんどの人が、生活するために、現在の仕事に励んでいることと思います。 そうなると、その仕事がたまたまその人のもって生まれた気質・性格にも合い、しかも「宿命星」の指し示す方向とも一致している場合を除いては、好運気をフルに活用することができないままでいることになります。そこに、さまざまな不満がたまったり、イライラが高じてきたりする原因があるのです。 結局、自分の「運命」をいくら正確に読むことができたとしても、その根本・土台にある「宿命」をきちんとつかんでおかなくては、“砂上の楼閣”でしかありません。 |
| 「魂」は精神を、「魄」は肉体をつかさどる |
もうひとつ別の考え方があります。それは、「運命」がいま生きている数十年間、つまり現世のことを説いているのに対して、「宿命」はもっと長い期間、つまり先祖から授かったあなたの生命に宿っている傾向、特質であると考えることもできます。 よく私は、「魂(こん)」と「魄(はく)」というお話をします。この2つはどちらも「たましい」のことを意味しているのですが、正確にはちょっと違います。 「魂魄」という言葉を辞書でひくと、次のように説明してあります。
さらに、それぞれの言葉を辞書でひくと・・・。
つまり、「たましい」といっても、肉体にともなうものと、精神にともなうものの2種類があるというわけです。ただ、この2つは、字がひじょうによく似ていてまぎらわしいので、私は次のように書き分けています。
璞(たましい)のほうは、「死後もこの世にとどまる」のですが、その期間はだいたい3年間とされています。よく、人が亡くなると一周忌、三回忌、七回忌・・・と法事をとりおこないますが、三回忌までは、死者の「たましい」がこの世にとどまり、その期間のうちに成仏するかどうかが決まるといったいい方もされているようです。 成仏うんぬんはともかく、なぜそういうことが起こるかというと、人間の命というのは決してこの世(現世)だけのものではなく、実は永遠に続いているものだからです。 以前も書いたことがありますが、人間が死んでも、「たましい」は3年間、そのままこの世にとどまり、3年たってから天に昇っていきます。逆に、この世に人間が誕生したとき、「たましい」は3年たってから、その人の命に入ってきます。 「三つ児のたましい百まで」という言葉がありますが、この「三つ児」とは「三歳」という意味で、そのときまで、その人の「たましい」の部分はまだ空洞の状態ということなのです。その空洞にきちんと「たましい」が入るのは「三歳」になってからのことで、そのとき、どんな「たましい」が入ったかによって、その人の一生はほとんど決まってしまうということを教えてくれる言葉です。 |
| 釈迦が予言した「三毒」の言葉 |
そして、この「たましい」がきちんと磨かれていないと、その人の一生は正しく前に進んでいきません。途中、さまざまな障害にでくわすたびに止まってしまい、結局、遠まわりの人生を送ることになります。 この場合の「障害」は、人によってさまざまです。病気をわずらう人もいれば、経済苦に悩まされる人もいます。また、人間関係などに苦しむ人もいます。あるいは、愛する人に先立たれる人もいます。そうしたできごとのすべてが「たましい」のありようと深くかかわっています。 「たましい」が丸い人は心も円満ですから、仮に何か苦しいこと、つらいことがあっても、周囲の人が力を貸してくれます。 ところが、丸くない、たとえば角ばった人、あるいはいびつな人となると、そうした協力を得ることができません。そのため、どうしてもギクシャクしがちです。結局、障害を乗り切ることができず、人生の途中で身を引いたり、場合によって命を落としたりする人もいます。そうしたことの根本原因は、実をいうと「たましい」のありよう、もっとはっきりいうと「形」にあるというわけです。 不思議なことに、人間の心は、「たましい」の形そっくりになります。つまり、「たましい」が角ばっている人は心も角ばったものになりますし、三角形の場合は、心もまた三角形になります。丸い「たましい」の人は、心もまた丸くなっています。いうならば、心の核が「たましい」だと考えればいいでしょう。 ところが、近ごろは、この「心」がゆがんでいたり、おかしな形をしている人が多いのです。釈迦はこうしたことを、二千数百年前に予言していました。「末法」といって、釈迦が死んだあと二千年が過ぎると、人々の命が汚(けが)れて、多くの人が信仰心を失ってしまうといわれたのです。そのことを釈迦は「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」の三毒という言葉で残されました。
のことをいいます。この「三毒」は、円満な心=円満な「たましい」の持ち主には無縁のことですが、そうでないと、ほとんどの場合、この3つのどれか、場合によってはすべてにおかされてしまい、人生を正しく生きていくことができなくなります。そういう人はたいてい、文句をいい、いつ会ってもグチをこぼし、不平・不満を自分以外のものにぶつけます。そのため、心はますますゆがんでいきます。 |
| 行き着く先は「六道輪廻(ろくどうりんね)」 |
そして、この「三毒」におかされた人の行き着く先が、「六道輪廻」です。人間には、地獄界から仏界まで全部で十の境涯があるのですが、そのうち下の6つをグルグルまわっているだけの人生を送ることになってしまうのです。 「六道輪廻」の場合、最高でも「人間界」ですから、とてもとても、他人のこと、あるいは社会のことや世の中全体のことにまで気持ちが及びません。頭にあるのは、ただひたすら自分のことだけという、なんともさびしい境涯です。しかも、それが最高の状態だというのですから、生きていてもどこかむなしさを感じていることでしょう。 そうなると、心に栄養分がまったく行き渡りませんから、生きていても、心の底から楽しむ、喜ぶということができません。といって、干からびた心に何かしら栄等分を採ろうという気持ちにもなれないのですから困ったものです。毎日、欲望に支配され、感情に左右され、判断に迷ってばかりいるという状態です。 そうしたレベルで、いくら「運命」を論じたとしても、ほとんど意味をもたないのは、だれが考えたってわかることでしょう。私自身も、事あるたびにそうした問題を指摘しているのですが、なかなか理解していただけません。せっかく、そうしたことを教え諭してあげても、怒ってこられたり、反発してこられたりするケースがほとんどです。 心がゆがんでいたり、幕がかかっていたりすると、本当なら見えてくるものも見えなくなって、「自分のことを嫌いでこんなことをいうんだ」とか「この人は私のことを恨んでいるに違いない」などといった、ゆがんだ解釈が先に立つようになるのです。 なんとも残念なことです。というより、悲しく情けないことです。そこまで、人間の心というのはゆがんでしまうものなのかとさえ思います。 |
| 「宿命星」は10年単位で変化、“宿命大殺界”はその中の20年間 |
さて、ここで、「宿命」という言葉をもう一度、よく見直してみてください。「命に宿る」という文字で書かれることに気付いたでしょうか。ここでいう「命」とは、「心」ということになります。その「心」に宿っているのが、「宿命」なのです。 その「心」が、多くの人の場合、ゆがみ、ひねくれてしまっています。となると、そこに宿っている「宿命」もまた、ゆがみ、ひねくれているに違いありません。 まっすぐな棒を思い浮かべてください。その棒が、ある瞬間は細くなり、またある瞬間は丸くなり、またある瞬間は四角形をかたちづくる・・・。「宿命星」とは、いってみれば、そうした形の変化のことです。そして、それば10年間の単位で変わっていくというのです。 形は全部で10種類ありますが、人間はそのすべてをかならず生涯のうちに経験するというのが天地自然の法則です。もちろん、それには少なくとも100年以上は生きなければなりませんが、現実にはそこまで長生きする人は多くありません。むしろ、その途中、つまり10種類の形のうち、せいぜい7つか8つを経験するだけで、この世を去っていく人のほうが多いわけです。 そして、面白いことに、その10種類のうち、かならず2種類、時間にすると20年間という期間が、“宿命大殺界”といって、人生が大きく変わる時期として定められています。“大殺界”という言葉から、なんだか悪いことを連想するかもしれませんが、決してそういうことではありません。 むしろドラマチックに変わっていくさまが、「六星占術」でいう“大殺界”のときと同じく、転換期(ターニングポイント)あるいは激動期に似ているので、そうした、いささかインパクトを感じさせる言葉にいい換えたものです。 もちろん、文字どおり、信じられないような悪いできごとにひきずり込まれ、人生を台無しにしてしまう人もいないとはいえません。逆に、信じられないような幸運の波に乗って、気がついたら過去とまったく別の世界に生きるようになったという経験をする人もいます。そして、生きているうちに“宿命大殺界”に遭遇した人はかならず、ひとりの例外もなく、そのどちらかを体験します。 |
| “宿命大殺界”のすごし方次第で、大変身も可能 |
ただ、人によっては、その人の生きているうちに“宿命大殺界”と遭遇しないことがあります。たとえば、100歳から119歳の20年間が“宿命大殺界”になっている人もいるのです。あるいは、生まれて0歳から3歳までの4年間と、104歳から119歳の16年間が“宿命大殺界”であるという人もいたりします。 逆に、たとえば人生でいちばん大事な時期とされる30代から50代のころに“宿命大殺界”に遭遇する人もいます。こういう人の場合は、ひじょうに注目を浴びます。人によっては、その入口のところと出口のところで、まったく別人のようになっていることもあるからです。その変わりようは、常識や経験だけではとても信じられないほど劇的で、ダイナミックです。 その20年間のすごし方ひとつで、同じ人の人生とはとても思えないほど、大きく変わる場合もあるのです。それが“宿命大殺界”の面白さでもあると同時に、怖さでもあります。 しかし、そのことをあらかじめ知っておき、“宿命大殺界”とタイミングを合わせて行動したらどうなるでしょう。そこにまた、まさしく、計算どおりの大変化が起こったとしたらどうでしょう。そうなったとき、その人は大変身をとげるはずです。 「宿命」の面白さは、実をいうとその点にあるのです。「運命」と「宿命」とを合わせてみたとき、私たちの人生の道筋がほぼ正確に読み取れるということになります。 先に「10種類」の宿命星ということに触れましたが、そのひとつひとつを理解しなくては、あなた自身の「宿命」を読み取ることはできません。 |
| 「宿命星」と「六星占術」の運気について |
私たちがいちばん心がけなくてはならないのは、「宿命星」と「六星占術」の運気との関係です。どういうことかといいますと、「宿命星」の持つ特徴のそれぞれが、「六星占術」で好運気になったときは強調され、“大殺界”など運気が悪い時期には、逆方向に行くということです。 たとえば、「大善星」と「緑水星」がいい例です。「大善星」は「家庭」が大きな特徴なのですが、好運気の時期には、それがいい方向にあらわれます。従って、ほとんどの場合、家庭が円満になり、ご主人と奥さん、あるいは親と子供の心の絆がグンと深まります。仮に、何か問題に直面したとしても、“雨降って地固まる”のたとえではありませんが、それがきっかけでかえっていい関係が築かれるのです。 ところが、これが逆に“大殺界”などに遭遇すると、「家庭」の中で大変な問題が起こります。子供が親に反発するあまり家出してしまったり、あるいは夫婦の間にとんでもない問題が持ち上がったりします。こういう場合、“大殺界”から抜け出さないかぎり、問題の解決はまず期待できません。 「運命」と「宿命」の両方をきちんと読み取ったうえで行動していくことが大事だと私がいつも強調しているのは、そうした背景があってのことです。 「運命」と違い、「宿命」のほうは、もっぱら、一人ひとりの過去、もっとわかりやすくいうなら、先祖の「徳」とも深くかかわっています。つまり、あなたひとりだけの責任ではないということです。となると、いかにして「宿命」が“大殺界”の影響をもろに受けないようにするかということが大事になってきます。 そして、それには、あなた自身が人生に対して謙虚になることが何より大事です。別のいい方をすると、人間が天地自然の法則のもとで生きている(=生かされている)ということを深く自覚していただきたいのです。そのことが理解できないかぎり、いくら「運命」のことを知ったとしても、また「宿命」について懸命に学んだとしても、あなたの人生の根本姿勢が変わらないのですから、決していい方向には向かわないということになります。 |
| 宿命のエネルギーが陽転すれば大成功も夢ではない |
さて、“宿命大殺界”は20年間続きます。はじめの5年間を「初起殺界」、真ん中の10年間を「中起殺界」、最後の5年間を「転起殺界」といいます。それぞれの特徴、また、その過ごし方についてはあとでお話しますが、“宿命大殺界”のときには、どのようなことが起こるのでしょうか。 話をわかりやすくするために、人生を1つの大きなまるい筒にたとえてみます。宿命のエネルギーは筒の中を波打ちながら運行しています。ところが“宿命大殺界”のときはその筒がいわば取り払われた状態になるのです。それまで筒の中にあって外側をカバーされた状態でしたから、宿命のエネルギーは思うような方向に進むことができませんでした。ところが、そのカバーがはずれるわけですから、宿命のエネルギーの道筋が定まらなくなり、筒の外に放り出されてしまうことになります。 いったん飛び出した宿命のエネルギーは大宇宙の中に舞い上がり、限りなく上昇していく場合もあれば、限りなく下降していく場合もあります。また、それまでとさして変わらない場合もあります。大きく上昇するのを「陽転」といいますが、陽転すると信じられないような大成功を収めることがあります。逆に、大きく下降するのを「陰転」といい、こちらの場合は想像を絶する苦しみを味わうことになります。 “宿命大殺界”で陽転すると、本来の素質や才能に、想像をはるかに上まわるエネルギーが加わります。 “宿命大殺界”で上昇気流に乗り、思ってもみなかった成功をつかんだ人が口をそろえて「自分でも信じられない・・・」と、感嘆の声をもらすのはそのせいです。 “宿命大殺界”に入ると、まず初起殺界(5年間)の時期にエネルギーのパワーがぐーんと高まりはじめます。しかし、中起殺界(10年間)の中頃(これは“宿命大殺界”全体の真ん中でもある)になると頂点に達し、その後こんどは下がりはじめます。この流れはどんな人の場合も同じで、変えたりひっくり返したりすることはできません。 とくに、最後の5年間=転起殺界に入ると、下降する力はより強まり、抵抗すればするほど逆に深みにはまってしまうことになります。 ですから、宿命のエネルギーが下がりはじめたあと、とくに最後の転起殺界(5年間)のときは積極的な態度は控えるべきです。そうでないと、着陸がむずかしくなり、“宿命大殺界”を抜け出したあとの人生にいろいろと支障をきたす恐れがあるからです。 |
|---|---|
| 忍耐強く現状維持に徹する |
こう書くと、“宿命大殺界”の20年間を劇的に陽転させて、自分の夢を実現したいと誰もが思うことでしょう。それには、“宿命大殺界”の真ん中の10年間、つまり、中起殺界のときのエネルギーを最高のレベルにもっていく必要があります。そして、そのためには、初起殺界の5年間の過ごし方が大切なのです。 初起殺界は、エネルギーが日ごとに上昇していく時期です。飛行機でいうなら、離陸してから安定飛行に移るまでにあたります。この離陸をいかにうまくなし遂げるかが、次にやってくる中起殺界を左右するわけです。 また、初起殺界の期間に新しく事を起こしたり環境を大きく変化させたりすると、最後の転起殺界になってから大きな問題が発生する場合が少なくありません。 たとえば、初起殺界のときに結婚すると、転起殺界の時期に、夫婦仲が悪くなり、それこそ一家離散といったようなことになる場合が少なくありません。 とくに“宿命大殺界”で陰転すると、不安が不安を呼び、そこから脱しようという思いが高まってきます。しかし、“宿命大殺界“に入ったあとは、陰転、陽転のいかんにかかわらず、それまでの状態を維持してください。そうしないと、“宿命大殺界”が終わったあとの人生が不完全燃焼になってしまうからです。 また、女性の場合、“宿命大殺界”で結婚すると、たいてい離婚することになります。“宿命大殺界”のときに得たものはおうおうにして消えてしまうのです。結婚してしばらくたつと、「どうして私はこんな人と結婚したのだろうか」「私にもっとふさわしい人がいるはずだ」といった思いが頭をもたげてきて、場合によっては、ほかの男性に心を奪われて不倫に走ったりすることもあります。 あるいは、夫が浮気をしたり暴力をふるったりなど、それまでの幸せな結婚生活がまるで夢の中のできごとであったかのような変わりようにとまどうばかりでしょう。 だからといって、あわてて別居したり離婚したりすると、もっとひどい状態におちいります。自分で決めてスタートしたことと観念し、努力して、なんとかその状態を維持するように心がけてください。そうでないと、何度やり直しても結果は同じ、たとえ再婚したとしても同じことを繰り返すことになります。 ただ、こう書くと、“宿命大殺界”だから、すでにまとまっている結婚の話を中止したほうがいいのかという疑問を抱く方もおいででしょう。この場合、相手から持ちかけられた話であれば受けてかまいません。 ただし、常に“ヒビの入った茶碗”を持っているようなつもりでいてください。自分では腹立たしいかもしれませんが、相手のわがままを我慢し、許していく努力が必要です。こうして、20年間努力すれば、“宿命大殺界”が明けてからすばらしい関係を築くことができます。そうでないと、ヒビはどんどん大きくなって、そのうち修復不可能=離婚ということになります。 |
| 転起殺界の5年間は流れに身をまかせる |
また、“宿命大殺界”の最後の5年間=転起殺界の過ごし方も大切です。 転起殺界の過ごし方のポイントは、中起殺界で得たものをすべて吐き出すことです。たとえば、陽転して中起殺界で大金持ちになったというのなら、転起殺界の5年間で、その財を世のため人のために還元してください。 また、転起殺界の時期は、旅行やスポーツなどにできるだけ時間をさき、のんびりリラックスするようにします。 ここで、気をつけなければならないのは、20代後半から30代で“宿命大殺界”に突入した人が、40代から50代という人生の円熟期で転起殺界を迎える場合です。これくらいの年齢の人の常として、マイホームを建てようと考えます。 しかし、転起殺界の期間中は、それは避けてください。せめて、“宿命大殺界”を抜けるまで待つようにします。転起殺界で建てたり購入したりした家には、結局、根を張ることができません。ときには、夫(妻)の出奔、子どもの家出など、一家離散を引き起こすことすらあります。 また、それまでどんなにうまくいっていた人でも、この転起殺界の時期になると、さまざまな面で壁にぶつかります。“宿命大殺界”によるプラスアルファが減っていくのですから当然のことです。けっしてあせらず、“宿命大殺界”が終わるのをじっくり待つよう、気持ちを落ちつけてください。 むしろ、“宿命大殺界”が終わるまでの5年間は充電期間と思うことです。どんな立場であろうが、また、どんな境遇であろうが、この5年間かけて、さまざまな知識を吸収するようにすると、そのあとの展開が順調になります。先に初起殺界を飛行機の離陸にたとえましたが、この転起殺界は着陸ということになります。 近頃の飛行機はコンピューターによる自動操縦装置(オートパイロット)がついていますが、人生にはそうした便利なものはありません。どんな状態であっても、操縦するのはあなた自身なのです。“宿命大殺界”で重要なのは、それを終えたとき再び元の状態に戻っているということです。これは、陽転・陰転を問いません。「終わりよければすべてよし」で、この着陸に成功できるかどうかが、その人の人生のすべてを決めるといっても過言ではないでしょう。 それを実現するには、地位や名誉、財産や家庭といった、自分の外見を飾るものにこだわらないことです。中起殺界で陽転していた人は、先にもお話したように、それまでに築き上げたものを社会に還元するようにします。 ところが現実には、転起殺界でエネルギーが下降線をたどりはじめると、それまで上昇しつづけていた人ほど、だんだんあせりを感じはじめます。なんとか現状を打開しようとしてもがく人も少なくありませんが、“宿命大殺界”そのものは天地自然の理です。それに逆らえば、スムーズに着陸できなくなります。着陸に失敗すれば、その後の人生に悪影響を及ぼします。 転起殺界の5年間は、新たに事を起こしたりするのではなく、それまでに築いたものを捨てていくことに意識を集中します。流れに身をまかせ、受け身でいること・・・それが肝心です。 また、“宿命大殺界”では、中起殺界までは陽転していても、転起殺界に入って陰転していく場合があります。とくに初起殺界の間に事を起こした人の場合にこうしたケースが多いのです。この場合、自力で問題を解決しようとしてはいけません。あくまでも受け身の姿勢をくずさず、信頼できる人にまかせるようにします。 |
| 宿命どおり生きていくかどうかがカギ |
“宿命大殺界”の20年間は、自分の本質があますところなくさらけ出されます。そのため、感情や欲望のままに行動しやすくなります。また、それまで自分をおおっていたカバーがはずれた状態ですから、心身ともに健康を害しやすくなります。 しかし、あらかじめ“宿命大殺界”の時期を知っていれば、それなりの準備ができます。準備なしにいきなり“宿命大殺界”を迎えると、自分を見失ったあげく、とんでもない結果を招くことにもなりかねません。これは、陽転しても、陰転しても同じです。“宿命大殺界”の自分が、本当の自分だと思ってはいけないのです。 とくに陰転した場合は、悪いほう、悪いほうへと進展していく状況に、「なぜ、自分だけが・・・」という疑問がつのってきます。他人や、環境のせいにするなどグチっぽくなることもあるでしょう。しかし、“宿命大殺界”のときにそうしたグチをこぼしながら過ごしていると、陽転など期待すべくもありません。かえって、陰転がひどくなるだけです。 “宿命大殺界”のときは、誰もが不安にさいなまれます。とくに陰転した場合は、それがひどくなります。だからこそ、“宿命大殺界”がいつ訪れるのか、また“宿命大殺界”でどうなるのかを知っていただきたいと思うのです。 そして、“宿命大殺界”さえ無事に抜ければ・・・と考えるようにしてください。そうすれば、どんなにつらい目にあっても、またどんな困難が襲ってきても、宿命どおりに生きている証拠だと、自信が持てるはずです。 宿命どおりに生きているかどうかが、その人の幸せを大きく左右するカギなのです。宿命星が指し示す方向に逆らって生きようとしたり、宿命星と合わない生き方をすると、その人の本能が苦しみの声を発するからです。 これは、いってみれば、その人の先祖から与えられた璞(あらたま)がきしんでいるようなもので、これが日々の生活の中で、イライラや、何かしっくりこない感じを与えるのです。 個人鑑定で私はこれまで、何万人という人と接してきましたが、その人の心の状態が手にとるようにわかります。どんなにとりつくろったつもりでも、私の前に出てきたら、まったく無意味です。そして、そのことを指摘すると、どの人も皆、驚いた表情を見せます。でも、心はすべてその人の姿、形に出てきます。 そして、そうした人々に共通しているのが、宇宙と自然と人間とのつながりの中からみいだされる「宿命」についてまったくご存じないということです。 その上、いわゆる常識やこれまでの経験が、宿命星の指し示す方向で生きることをしばしば妨げています。そのため、苦しみや悩みはますます深まり、場合によっては絶望のあまり、自ら命を断つ人まで出てきたりします。 宿命どおりに生きていないと、どんなに一生懸命努力しても、それが実を結ばないばかりか、かえってマイナスを増やしていくことにもなりかねません。そして、何かあると、すぐに他人のせいにしたりします。 あるいは、世の中が悪い、社会が悪いと、自分を取り巻く環境を恨んだりします。また、ある時点まではうまくいっていても、突然それにかげりが生じたりします。 どんな人にも、本来授かった能力・適正があります。ところが、宿命を無視した生き方をすると、そうしたものが活きてきません。そのため、こういうことが起こるのです。 |
| 幼年期に“宿命大殺界”を迎えた場合 |
まず“宿命大殺界”を幼年期(初旬、1旬あたり)に迎えた場合です。幼年期といっても、親の庇護のもとで家庭や学校で教育を受けている期間のことです。 親の保護下にあるのですから、陽転するにしても陰転するにしても、それまでの状況が大きく変化することはありません。陽転して、自分の才能を思い切り伸ばそうとしても、経済的に自立しているわけではありませんから思いどおりにはいきません。 むしろ親のほうが、子ども自身が自力で活かすことができない“宿命大殺界”の影響を受けることがあります。 幼年期に迎えた人が陰転すると、本人の意思と関係のないところで不幸にあうことが少なくありません。たとえば、もの心がつく前に両親が離別してしまったり、死別してしまったりするのがそれです。 ぜん息やアレルギー症状、アトピー性皮膚炎などで悩むこともあります。病院に通ってもなかなか治りませんし、かえって悪化することもあるので、慎重に対処しなければならないでしょう。また、いじめにあう子ども、あるいは登校拒否におちいる子どもも目立ちます。 こうしたケースは、核家族の家庭に多いようです。3世代以上が1つ屋根の下に住む大家族でも、父親より母親のほうが強い家庭や、兄弟姉妹の多い家庭の子どもも、陰転する可能性が高いでしょう。とくに、ひとりっ子はそうした傾向がいっそう強く出ます。 逆に陽転すると、天才、神童と世にいわれるような子どもになります。こちらは、先の陰転する子どもとは逆に、何世代にもわたる家族が一緒に生活している家に生まれてきやすいのが特徴です。幼年期に“宿命大殺界”が訪れる場合、先祖と心のつながりが強く、何代も前の先祖からの恩徳を受けることが多いからです。 ただ、この場合、中年期に入って本当の自分の実力を知り、大きなショックを受けることがあります。ですから、陽転したそのときは“天才”“神童”であっても、“宿命大殺界”を抜けると“ただの人”になる可能性が大です。 いずれにしても、“宿命大殺界”を迎える寸前は、とくに子どもさんの場合、何をさしおいても先祖と接する時間を持つように心がけることです。お墓参りに行く、家の仏壇にお祀りしてある先祖にお水や花を供えるといったことを、できるだけ子どもさんにさせるようにします。たとえ核家族であっても、これくらいのことは、意識すれば実行できるはずです。それによって先祖の恩徳をいただくことができれば、“宿命大殺界”を陽転させるのはけっしてむずかしいことではありません。 もちろん、これは中年期、晩年期に入って“宿命大殺界”を迎える人の場合も同じです。先祖供養が大切だと私がいつも申し上げるのは、そうしたことが背景にあるからなのです。 |
|---|---|
| 20代、30代に“宿命大殺界”を迎えた場合 |
次に、20代、30代(3旬、4旬あたり)に“宿命大殺界”を迎えた場合はどうでしょうか。 子どもの頃にある家族や学校といったワクも、自分の意思によって取り除くことができますから、“宿命大殺界”を迎えたら、陽転させて、自分の実力プラスアルファを勝ち取ることができるわけです。 “宿命大殺界”が陽転するには、“宿命大殺界”に入る前の2、3年間をどのように過ごすかが大事になってきます。 この時期、自分はまったく前進していないのではないか・・・という感覚の襲われて、あせりを感じることもあるでしょう。しかし、できるだけ現状に逆らうことは避け、受け身でいるように心がけることです。 そして、いよいよこれから“宿命大殺界”に入るという直前に、転職する、フリーになるなど、それまで自分をおおっていたワクから飛び出るようにします。その飛び出し方が激しいほど、“宿命大殺界”で陽転する可能性が高まります。 また、引っ越しも、予想外の成功に結びつきます。なかには、“宿命大殺界”に入る直前にタイミングよく会社をやめさせられたり、結婚したりする人がいます。いいことであれば、なんの問題もありませんが、見かけ上あまりよくないことの場合、つい沈んだ気持ちになってしまいますが、これは逆に天の恩恵ととらえてください。 恵まれた家庭生活を送っていたり、気に入った職場で自分のやりたいことを思う存分している人は、「“宿命大殺界”がくるからといって、あえて環境を変えては」という、迷いが生じるかもしれません。しかし、かりに心の底から満足していたとしても、“宿命大殺界”に入ればおのずと摩擦が生じます。 宿命どおりに生きようとするなら、それまでの環境をとにかく変えてやる必要があります。会社勤めしている人なら転職、もしくは、独立開業する、芸術の世界で生きている人なら思い切ってフリーになるなど、自分の意思と自分の力でなんとかワクを取りはずすことです。思い切った変化を起こさない限り、“宿命大殺界”では逆に陰転してしまいます。 ただし、自分の宿命星が指し示している方向と異なる環境にいたり、職業についている人の場合は、“宿命大殺界”を迎えるからといって無理に変える必要はありません。 また、家庭の主婦の場合、“宿命大殺界”が近づいてきたとしても、ワクをはずすのは現実にはひじょうにむずかしいところがあります。そうなると、“宿命大殺界”に入ってから精神、肉体の両面にわたってストレスがたまり、病気になることも少なくありません。 しかし、これも考えようで、自分自身が病気を患ったことで、夫の仕事や子どもの健康に悪い影響を与えなかったと解釈することもできます。 いずれにしても、家庭の主婦など、自分の意思で環境=これまでのワクを変えにくい人は、現在の状況のなかで可能な部分をさがし出し、そこを変えていくようにしてください。何も努力せずにいると、初起殺界=5年、中起殺界=10年、転起殺界=5年、合計20年間続く“宿命大殺界”を、動きのとれないままに過ごすことになります。それで、陰転でもしようものならこのうえなく悲惨です。 また、“宿命大殺界”が陽転して大きな業績を残した人、たいへんなお金をつかんだ人、あるいは思いもかけず有名になった人の多くが、“宿命大殺界”を抜けたあともなお、それに執着しようとします。というのも、「自分にはこれだけの才能がある」とか「もっと高く評価されてもいい」と思い込んでいるからです。 しかし、“宿命大殺界”のときの自分は、本当の自分ではありません。かなりのプラスアルファが加わっています。ですから、そういうふうに思い込んでいても、しょせん本当の実力とは違うわけです。 |
| 50代、60代に“宿命大殺界”を迎えた場合 |
50代、60代の頃(4、5、6旬あたり)に“宿命大殺界”を迎える人もいます。これくらいの年齢だと、「人生、さあこれから」という時期ではありません。ですから、中年期に“宿命大殺界”を迎えた場合とは違い、陽転しにくいといえます。 中年期の場合は、“宿命大殺界”に入る前の2、3年の過ごし方で陽転・陰転が決まりますが、晩年期に迎えた場合、“宿命大殺界”に入る前には、親しくしていた人との死別・離別があります。そういった意味では、晩年の“宿命大殺界”はあまり歓迎できないといえるでしょう。 しかし、その過ごし方が重要な意味をもつ転起殺界に入る頃には、かなり高齢になっているために、積極的に行動しようという意欲もさほど強くありません。ゆっくりと着陸していこうとします。ですから、幼年期や中年期で迎える転起殺界ほど神経質になる必要はないのです。 また一般に、晩年期に“宿命大殺界”を迎えると、後継者がいないためにリタイア(引退)したくてもできない、あるいは、後継者がいるにはいるのだが、地位を譲る気になれず、いつまでも第一線にいる人がいます。 この場合、企業経営者であれば、自分は最後までトップに立って走りつづけるようにしたほうが賢明です。燃え尽きるまで力を尽くし、思い切り陽転させたほうがよいといえます。もし、そうした立場のまま他界するにしても、陽転していれば大往生することができるからです。 また、晩年期に“宿命大殺界”が訪れる人は、宇宙の真理をつかむことができるといわれていますが、それは、陽転したエネルギーがそのまま大宇宙に昇るからなのです。 |
| あなたはどうして素直に従うことができないのか |
「宿命星」の指し示す方向に素直に従って生きることが、「運命」のエネルギーを最大限に生かすコツです。 ところが、私たち人間はどういうわけか、この「宿命星」の指し示す方向に素直に従うことができないのです。なかには、それに逆らおうとしているとしか思えない行動に出る人もいます。 そうした人たちをこれまで長い間つぶさに観察しながら気付いたのですが、どうも共通したものがあるように思えるのです。それは、自分以外の人や物に対する感謝の念が感じられないということです。 この世でいちばん偉いのは自分であると思っているかどうかはともかく、自分はいつも正しい、自分の考えていることに間違いはない・・・そうした考え方をしているのではないかと思われるフシがあるのです。 そうした考え方と、「宿命星」の指し示す方向がたまたま一致すればいいのですが、確率的に見ると、10分の1ほどしかありません。つまり、10種類ある「宿命星」のうち、せいぜい1つでしかないのです。 しかし、これではあまりにも効率が悪いのではないでしょうか。それより、「宿命星」の指し示す方向とできるだけ一致するような行動、ものの見方・考え方ができるような自分に変わっていくことを考えたほうが得策といえましょう。 では、それを実行するにはどうしたらいいのでしょうか。それには、「心」の核の部分つまり「たましい」を磨き上げることです。磨きに磨いて丸い形にすることです。 最初どのような形をしているかにもよりますが、丸く仕上げるには、余分な部分を削り取っていかなければなりません。 丸い「たましい」は、どんなことにも合わせることができます。ところが、角ばっていたりゆがんでいたりすると、それが合わせにくくなります。そうすると、自分の形のほうに合わせようといった思いが兆してきます。いい換えれば、ものごとに対して素直になれないということです。 「たましい」が丸いか、それとも別の形をしているかは、自分ひとりの責任ではないところがあります。「たましい」というのは、自分が生まれてくる前からある程度、形が定まっているからです。 それはいってみれば、親やそのまた親(先祖)が、生きているときにどのようなおこないをしてきたかによって決まるからです。そして、そうしたおこないは、そのまま子孫にも反映され、結局ゆがんだ「たましい」や角ばった「たましい」はその家系に連綿と続くものとなります。 |
|---|---|
| 「宿命」は決して先祖の責任ではない |
「宿命」には、自分ひとりではどうしようもない部分があります。しかし、それだけで終わってしまったら、結局あきらめざるを得ないということになってしまいます。しかし、安心してください。そんなことはないのです。 あなたも、心がけひとつで、「宿命」の指し示す方向がどうであろうが、また、それがたまたま「六星占術」の“大殺界”の時期と重なろうが、その怖さから逃れることができるのです。それだけではありません。「宿命星」の特徴を存分に活かし、思ったままに人生をコントロールできる方法もあります。 それにはまず、「宿命」の“いわれ”をもう一度、復習しておく必要があります。 「宿命」は私たち一人ひとりの命に「宿る」ものですが、そもそもどのような筋道をたどって宿ったのでしょうか。 どんな人にも親がいて、その親にもそれぞれ親がいます。そうした親を、たとえば10代前までさかのぼっていくと、少なくとも1,000人以上(=1,024=2の10乗)の先祖がいるという計算が成り立ちます。 その一人ひとりが、いったいどのような生き方をしていたのか、それをすべて明らかにすることができるでしょうか。すべてとなると、ちょっとやそっとではできません。 もちろん、それをすべてさぐりだすことも重要かもしれませんが、どんな先祖がいたとしてもおかしくないとの思いで、先祖一人ひとりの「たましい」をみずからの手で供養してさしあげることのほうがよほど効率的だと思うのです。 ひょっとしたら、先祖のなかに泥棒がいるかもしれません。あるいは、だれかの命をあやめたことのある人がいるかもしれません。そうでないほうがいいに決まっていますが、調べがつかない以上は、そうしたことも想定しておいたほうがいいということです。 当然、そうした人たちの「たましい」はいまだに低い境涯をさまよっていることでしょう。なかには、成仏できないまま、この世にとどまっている「たましい」があるかもしれません。 そうした先祖を、ひとり残らず成仏していただき、先祖一人ひとりから「徳」を頂戴するのが、実をいうと子孫にとっていちばん大事なことなのです。 この大事な使命を果たさないまま、いくら幸せな人生を送りたいと願っても、残念ながらそれはかないません。こう書くと、まるで先祖供養をしないと幸せになれないと脅しているみたいだと思う方もなかにはいることでしょう。 実際、そうしたことを“ビジネス”にしてしまっている自称宗教家、あるいは教団(宗派)もあります。たしかに、先祖供養というのは、正しい方法にのっとっておこなわないと、かえって害悪を及ぼします。なぜかというと、先祖の「たましい」を子孫である私たちが供養してさしあげるのは、人間として自然な生き方、それこそ天地自然の法則だからです。 |
| 先祖供養は人の道である |
人間が天地自然の法則を忘れ、自分勝手に生きようとしているために、今日、さまざまな問題が私たちを悩ませています。その最たるものが、ここでお話しする先祖供養です。 たとえば、こうした先祖と子孫との関係について、もっとも詳しく説いてくださったのは釈迦ではなく、孔子だということをご存じでしょうか。仏教にはもともと、先祖に対して供養するなどといった考え方はまったくありませんでした。それは当然で、仏教はもっぱら、人間が生きている間のことを説く教えだったからです。 しかし、釈迦が誕生する数百年ほど前に中国に生まれていた孔子は、中国の人々の間に古くから伝えられてきた考え方にならい、先祖についてのきちんとした考えを示してくださいました。 中国伝統の考え方とは、人間があくまで天地自然の中の一員として存在しているということです。私たち人間は「生きている」のではなく、「(天地自然に)生かされている」というのがその根本といっていいでしょう。そのため、孔子は次のような言葉を残しておられます。
つまり、亡くなった先祖の亡骸(なきがら)は大地に埋めて、その後は子孫がその「たましい」に感謝を捧(ささ)げながら生きていくのが人の道だというのです。仏教は、この孔子の素晴らしい教えを教義のなかに取り入れ、それが今日まで先祖供養という形で残っているわけです。 そのため、先祖供養というとすぐに宗教を思い浮かべる人も少なくありません。たとえば、先祖供養は僧侶立ち会いのもとでおこなうものと、多くの人が思っているようです。しかし、これは大きな間違いです。 というのも、先祖供養は、先にもお話したように、本来、仏教とはまったく関係のないものでした。むしろ、仏教が、孔子の教え=儒教から取り入れたものです。 儒教というのは「教」という名前がついてはいるものの、宗教とは何の関係もありません。釈迦より前に孔子が説いた、人の道(「道徳」と呼ぶ人もいる)なのです。つまり、人間としてこの世に生まれてきた以上、さまざまなことを守らなければならないが、そのなかのひとつに、先祖に対する感謝の念をあらわしなさいということがあるのです。 そうした考え方を日本の仏教はたくみに取り入れ、僧侶のもとで先祖を供養しないと仏罰が当たるなどといういい方をしながら、先祖に対する供養ではなく、自分たちに対する“供養(この場合は「お布施」のこと)”をいただいていました。そして、これはいまでも変わりません。 私自身、宗教に対して何の異議もありませんし、悪感情の抱いているわけではありませんが、ひと言、とくに新興宗教に申し上げておきたいのは、一般の人たちの無知につけ込んで、そうした形で先祖供養をおこなわないと罰が当たるとか、たたりが出るなど、“脅迫”まがいのいい方をしたり、言外にそうしたことをにおわせたりなどといったいい方をするのは、やはりおかしいのではないかということです。 |
| 大切なのは、子孫一人ひとりの心のありよう |
もともと、人間として生きていくうえで守らなくてはならない「道」、ルール・約束ごとが先祖供養です。長い人類の歴史をふり返ってみると、私たち人間は、先祖に対してどこか畏敬(いけい)の念を持ちながら接していたことに気付きます。 それはむしろ本能というか、人間の心に生まれつきそなわった、ごく自然な思いなのです。孔子が説いた教えは、そうした、どんな人の心にもそなわっている思いに触れたがゆえに、受け入れられたに違いありません。 それを、多くの宗教がいわば“ビジネス”化して取り入れているのは、どう考えても奇妙な話です。しかも、僧侶がおこなう先祖供養の儀式をよく注意して見ると、かならずその教団(宗派)の教祖の名前が出てきます。つまり、ある家の先祖供養の場を借りながら、その教団(宗派)の教祖の供養までおこなっているわけです。 これもよく考えてみると、おかしな話ではないでしょうか。教祖の供養は、その教団(宗派)の僧侶や、血を引いた子孫がおこなえばいいことで、縁もゆかりもない一般の檀家の人がそれをおこなう必要はありません。 そんなことをされれば、一般の檀家にとっては、自分たちの知らないうちになんの関係もない人の「たましい」を供養するお手伝いをさせられてしまうことになります。それはむしろ、自分たちの先祖の「たましい」を供養するうえで“不純物”を交えることにもなり、きちんとした供養にならない恐れがるのです。あなたが、いわゆるどこかの宗派に属していて、回忌法要や葬儀の際、その宗派に属する僧侶に供養をお願いしているようなら、じっくり考え直したほうがいいでしょう。 それに、先祖供養でいちばん大切なのは、あなたを含めた子孫一人ひとりの心のありようです。縁もゆかりもない寺院の僧侶と、直接その先祖の血を引いているあなたや、あなたの子供・孫たちと比べ、どちらが供養の真心が深いかは、いうまでもないことです。 たとえ形式的に整っていなかったとしても、とりあえずは真心が出発点となるのですから、そうした宗派や教団のいいなりになる必要などないのです。一般の人たちに先祖供養についての知識がまったくないためにまかり通っていることなのですから。 先祖供養はあくまで子孫の問題であって、宗派や教団の問題ではないということに、一日も早く多くの方に気付いていただきたいものです。 |
| あなたの供養があなたの「宿命」「運命」を決定する |
さて、それでは、なぜ先祖供養が「宿命」を活かすことにつながるのでしょうか。ひじょうに乱暴ないい方に聞こえるかもしれませんが、「宿命」のエネルギー、パワーは、その人の先祖の「位」の高さによって決まります。つまり、私なら私の、またあなたならあなたの先祖の「位」がどのようなレベルにあるのかが、いま生きている私の、あるいはあなたの「宿命」を左右し、それがさらに「運命」をも左右するわけです。 ここでいう「位」とは、決して、その人の社会的な地位とか、有名であるとかないとかいったこととは関係ありません。むしろ、その後に生まれてきた子孫がその人の「たましい」をどの程度まで供養したか、そのレベルのことを指しています。 「供養」というと、ロウソクに火をともし、線香を燃やし、お墓参りの折、あるいは仏壇に向かったときに、子孫が手を合わせることであるかのように思えますが、本当はそうした形式、スタイルは二の次のことなのです。あるいは、お墓参りに行く回数であるとか、お墓にどのくらいお金をかけているのかといったこととも関係ありません。 大事なのは、子孫に、自分たちの先祖に高い「位」までのぼりつめていただきたいという思いがどの程度あるかということです。つまり、心なのです。 心の込もっていない先祖供養など、まったく意味をもちません。手を合わせていても、心ここにあらずといった状態では、その先祖に栄養分は届きません。「栄養分」という言葉を使いましたが、「供養」の「養」とは、実は「心の栄養」のことをいうのです。それを「お供えする」のが「供養」なのですから、「心の栄養」を欠いた供養というのは、中身のないマンジュウのようなものです。肝心かなめの部分が抜け落ちてしまっているというわけです。 まして、あなたひとりだけの先祖を数えてみても、1,000人を超えるというのですから、その中身=心には、相当なエネルギーが込められていなければなりません。そうした一人ひとりの「供養」のトータルが先祖の「位」を決め、ひいてはあなた自身の「宿命」、さらには「運命」としてはね返ってくるわけです。 |
| 「運命」(大殺界)への準備ができる「六星占術」 |
「運命」について語るとき、私は、統計学、あるいは人間学の始まりといういい方で表現します。なぜかというと、これは、もともとは天地の運行、つまり太陽や月、また星の動きに合わせて自然界にさまざまな現象が起こることをヒントにして成り立っているものだからです。 それが事実だとすれば、同じ自然界の一員である人間もまた、同じように、そうした天体の運行の影響を受けるのではないか・・・という仮説のもとに出発しているのが「運命」を法則化したもの、つまり「六星占術」です。 「六星占術」に限りませんが、現在も残っている占い(占術)のすべては、もとをただせば、こうした宇宙(天体)の運行をもとに編み出されたものです。このことひとつ考えただけでも、動物占いだの、持ち物占いだのといった占いが、まったく根拠のないものだということが理解できるでしょう。 「運命」は、あくまで自然界、あるいは宇宙の活動と結びついているわけですから、私たちが自分の都合で変えたりすることはできません。ただ、「六星占術」を知っておけば、あらかじめその準備ができますから、“大殺界”の嵐に襲われても、被害を多少は食い止めることができますよということです。 また、<健弱>や<乱気>という運気になることを知っていれば、いつもそのことに意識を向けておくことができますよということです。 |
| 「宿命」は心がけ次第で大きく変わるもの |
ところが、「宿命」のほうは、たしかに、星の順番は決まっていますが、そのレベル=位を、あなたの心がけによって、上げたり下げたりすることができるのです。「心がけ」というと何となくあいまいな感じがするかもしれませんが、根本的には、先祖に対してきちんと供養をほどこしているかどうかということを意味しています。 たとえば、あなたがいま、2つの高い山にはさまれた谷の底に立っているとします。この場合、いくら背伸びして上を見ても、目に入ってくるのは空と山しかありません。つまり、視界が狭(せま)いわけです。また、狭い谷のくぼみにいたのでは、動きたくてもその範囲が制限されてしまいます。 これに対して、同じ険しい山にはさまれた場所であっても、もっと高い位置に立っていたとしたらどうでしょう。すると、あなたの視界に入ってくる景色も違いますし、風の吹き方も変わってくるはずです。 高い位置であれば、狭くて動きがとれないということもありません。つまり、同じ「六星占術」の運気が訪れても、自由に動くことができ、その範囲も大きくなるというわけです。「宿命」とは、そういうたぐいのものだと理解してください。 低い谷のくぼみから、より高くて視界の開けた場所に出てくるには、自分で登る努力をしなくてはなりません。 そして、いまより高い場所に到達するための登り方は、古くからはっきりしています。先祖の「位」が上がっていくとともに、あなた自身の「位」も同じく上がっていくのです。先祖の「位」を上げるには、先祖の「たましい」に栄養分を与える、つまり供養を実行するしかありません。そうすると、それがあなたを、正しい方向に導いていってくれるわけです。子孫が感謝の気持ちを捧げれば、先祖もそれにこたえてくれるのです。 |
| 素直になれば、ものの見方が明らかに変化する |
不思議なもので、この先祖供養の必要性についてお話をすると、聞いている人の態度が2つに分かれます。 1つは、素直に実践してみようという姿勢を見せる人。もう1つは、「ばかばかしいことをいうな」と言葉にまで出さないものの、傲慢な態度を見せる人です。 もちろん、素直な姿勢で実行した人のほうが、すぐに正しい軌道を歩み始めることができます。これに対して、ばかにしたような態度で拒絶する人は、なかなか正しい軌道に乗ることができません。場合によっては、ますます遠まわりの方向に向かっていく人さえいます。 こればかりは、素直な気持ちで早く実践した人が“勝ち”です。 では、具体的にどのような状況があらわれるのでしょうか。もともと目に見えないものを相手にしているわけですから、なかなか感じ取りにくい部分もあります。しかし、まず第一に、ものの見方・考え方が変わってくるはずです。 たとえば、これまでは自分の不幸がだれか他人のせいだとしか思えなかったのが、本当は自分に原因があったというふうにとらえることができるようになります。 その根底にあるのは「感謝」の心です。 端的にいうと、自分がこの世に生を受けたことに対する感謝が感じられるということです。それは、親、そのまた親(祖父母)、ひいては先祖全体に向かっています。 そして、次に、そうした先祖をこの世に送り出してくれた自然界、大宇宙に対する感謝の気持ちが、言葉のはしばしから感じられます。すると、どうなるでしょうか。当然のことながら、環境問題に対する関心が深まってきます。 また、社会全体に対する見方も変わります。守らなくてはならないルールも自覚できるようになりますし、していいこと・いけないことの区別も、教科書的にではなく、自分自身の実感として感じ取れるようになります。 |
| いつの日か、自分が変わったと実感する日が |
そして、さらに申し上げるなら、そうして正しい先祖供養を実践している両親がいる家庭は、かならず円満に暮らしているはずです。先祖に対して感謝の念をいつも忘れず、それをお墓参りや仏壇の前で手を合わせるという、具体的な行動としてあらわしている姿を見て育った子供が、おかしな子供に育つ道理がありません。 ですから、私にいわせるなら、最近の学校教育の現状や家庭でのしつけの実態こそが、さまざまな問題を生んでいる根本原因なのです。いくら教師が声を大にして「人間の命の大切さ」や人権の問題を論じたとしても、子供たちにとってはしょせん他人事でしかありません。 しかし、自分を生んでくれた親からそういう言葉を聞かされ、そうした実践の大切さを教えられれば、いやおうなしに、自分もそうした考え方に立ち、そうした行動を実践するようになります。 先祖に対する感謝の念はそっくりそのまま社会に対する感謝の念、自然を大切にしようという気持ちとして育まれていきます。子供たちがみんなそういうふうになれば、学校でいじめや不登校、あるいは校内暴力などといったゆゆしき問題が出てくるはずがありません。 このように、先祖供養こそ、実をいうと、社会全体を大きく変えるもっとも根本的な原動力なのです。ただ単に線香を燃やし、灯明に火をともすのが、あるいはお盆や春と秋のお彼岸にお墓参りに行くことだけが先祖供養などと思うのは、とんでもない考え違いだということがご理解いただけたでしょうか。 繰り返しになりますが、先祖供養は決して形式ではありません。何より大切なのは「感謝の心」なのです。その感謝の思いを形としてあらわすのが、先祖供養なのですが、いまの時代は、その「心」のほうがすっかり失われ、形だけが残っているといっていいでしょう。 しかし、それでは何も変わりませんし、当然のことながら、あなたの「運命」も家族の「運命」も変わらないのです。「運命」を変える第一歩は「宿命」を変えること、そして、「宿命」を変えるのは、まず「心」を変えることにあります。 それが、あなたの先祖の「たましい」を徐々に変えていき、ひいてはあなた自身の考え方、生きる姿勢そのものを大きく変えていくことにつながるのです。そのとき初めて、あなたは、自分が「宿命」に素直に生きている、また、自分の「運命」が変わったと心の底から実感することができるでしょう。 あなたにも、一日も早くそういう日が来ることを願ってやみません。 |
このページは、細木数子さんの著書 「最新版 六星占術 宿命大殺界」、「六星占術が教える十二支の読み方」、「六星占術 運命と宿命」をもとに作成しております。読み込み不足で至らない点も多々ございましょうが、寛大なお心で使っていただければ幸いです。
| 宿命星 | 解説 |
|---|---|
| 白照星 (はくしょうせい) |
「白照星」の特徴は「自我」「頑固」「独立心」「マイペース」「強い意思」「努力」。自分の立場や考え方に固執する守備本能が強く、すべてにわたって保守的なところがあります。 「白照星」が支配する時期は、目標達成に向けて、ひたすら走りつづけます。それまでならとても耐えられそうにないことでも、じっと我慢してやりぬく粘り強さを発揮することができるのです。 その粘り強さは、ちょうどマラソン選手にたとえることができます。しかも、タイムや勝ち負けよりも完走すること自体にとことんこだわります。他人に抜かれても気にすることなく、最後までマイペースを守ろうとしますから、何ごとにもスピードが要求される現代社会、とくにビジネスの世界では「要領が悪い」とか「のんびりや」といった評価を受けがちです。 さらに、人の好き嫌いを言葉や態度にはっきり示すようになりがちで、自分を受け入れてくれる人しか相手にしなくなります。その反面、人を簡単に信用してしまいます。しかも、いったん信用すると、疑うことをしなくなるため、相手が悪い人であれば、利用されたりだまされたりすることもありますから、その点は十分注意してください。 「白照星」はまた、要領が悪く不器用な星です。ですから、異性関係の面では、相手の気持ちにお構いなく、自分の都合で事を進めようとします。そのため、一方通行の片思いで終わることが多いでしょう。 いずれにしても、「白照星」に支配される時期は、それぞれの仕事や生活において、しっかり根をおろすことのできる時期だと心得てください。この十年間はさほど大きな起伏もありませんから、淡々とマイペースで生活することです。守備本能が強いため、大きな冒険にうって出ることも考えにくいでしょう。そのため、すぐに結果は出ないかもしれませんが、必ずや努力が実を結びます。 |
| 妙雅星 (みょうがせい) |
「白照星」と同じく、自分の立場を守ろうとするのが本質なのですが、集団から飛び出そうとする独立心の旺盛な「白照星」に比べ、「妙雅星」は集団の中でそのよさを発揮します。「協調性」「和合」「政治力」「説得力」がその特徴です。 「妙雅星」に支配される時期は、協調性、社交性がいかんなく発揮されますから、人間関係はとてもスムーズです。別の言い方をすると、人に嫌われたくない、敵をつくりたくないという特徴がものをいいますから、どんな人に対しても、外柔内剛というか、自分の意思や感情を押さえて対応するようになるのです。 とにかく、自分自身を小さなワクに押し込めずに、視野を大きく広げようという気持ちを抱くことです。そうすれば、ものの考え方も生き方も、いいほうに変わってきます。また、何ごとに対しても、現実的で、全体観に立った判断ができるようになります。 その反面、空想の世界に遊んだり、夢やロマンを追いかけるといったことには向きません。というより、そういうことをしないようになります。そのため、計画や目標も、百パーセント可能だという裏づけをみいだすまで、実行に移そうとしません。当然ながら、不確実な宝クジや競馬、競輪、マージャンなどといったギャンブルなどには見向きもしなくなるでしょう。 また、この時期は清濁合わせ飲む度量をいかんなく発揮することができます。ふだんならとても許せないようなことも豊かな心で受け入れ、またいつもの自分ならけっして実行しそうもないような冒険にも、このときはなぜか挑戦してみようという気持ちになります。かといって、守備本能はきちんと働いていますから、無謀なことに走るわけではありません。こうしたふところの深さが、あなたに対する評価をさらに高めてくれるでしょう。しかも、それがあなたの世界を大きく広げるうえで役立ちます。 ただし、「妙雅星」に支配されているときに気をつけていただきたいのは、人付き合いを重視するあまり、家庭が二の次になってしまうことです。これは、俗にいう外面(そとづら)がよくて内面(うちづら)が悪いというパターンにおちいりがちだからです。外面を大事にしすぎることが原因で、組織・集団・家庭内にトラブルの種を持ち込むこともあります。 |
| 光美星 (こうびせい) |
「光美星」の本質は「伝達」。人に何かを伝えたり残したいという気持ちが強まります。「食べ物」「温順」「遊び」「健康」を意味する星で、「おおらかさ」がその特徴です。 「光美星」に支配されている時期に結婚すると、すぐ子宝に恵まれます。また、いい悪いにかかわらず、子供の問題でいろいろ振りまわされることが多くなり、子供との関係がいやおうなしに深まることになります。 精神的には、ひじょうにおおらかになり、のんびりした気分にひたることができます。そのため、周囲の評価など気にせず、自由気ままに生きているといった印象を与えます。 また、将来に備えて何かをするとか、目標を決め、それに対して綿密な計画を立てるなどということが苦手となります。それでいて、将来について何の不安も持つことはありません。つまり、この時期は、その日暮らしが性に合った生き方となるのです。 なぜ、こうした考え方になるかといえば、「光美星」には、食べていくことに関しては不自由しないという特徴があるからです。思いもかけない財産を相続したり、結婚した女性ならば夫の働きに関係なくお金がついてまわります。あくせく働かなくても、「お天道様と米の飯はついてまわる」という言葉そのままの生活を送ることができるのです。 「光美星」に支配されたときは、多少、怠け者のほうがいいのです。なぜかといえば、出世欲にかられたり、高収入を得ようとしてバリバリ仕事に打ち込んだりすると、結果が裏目に出て人生の歯車を狂わすことがあるからです。 ただし、この時期は健康面にいろいろ問題が出てきます。若い人手も体力を過信しないで、しっかりと健康管理をしてください。心身とも無理をせず、流れに逆らわないで、ごく自然に生きることが大事だといえるでしょう。 |
| 静雲星 (せいうんせい) |
「静雲星」は、「反発」「反抗」「孤独」「感受性」を象徴しており、「空想とロマン」に長けています。本質は、「光美星」と同じく「伝達」です。 「静雲星」に支配されると、孤独を好み、自分の世界の中に閉じこもりがちとなり、集団から離れた一匹狼のような生き方をしやすくなります。 二十代の時期は、「静雲星」に支配されると、孤独感からくるさびしさをまぎらわすために、結婚したいという願望が高まります。 人間関係の面では、人を好き嫌いではっきりと分け、それを言葉や態度に表してしまいます。また、独善的となり、他人の意見にも耳を貸そうとしませんから、仲間はずれに合うことも少なくありません。 他人の干渉や束縛を嫌い、反骨精神が頭を持ち上げてきますので、頭から押さえつけようとする相手に対しては、猛然と食ってかかっていくようにもなります。 この時期は、一つのことに対する執念が異常なほど燃え盛ります。たとえば、ひとたびある人のことを嫌いと思ったら、その思いをずっと持ちつづけます。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、「静雲星」の支配下では、罪を許すことはできても、人を許すことができないのです。 女性であれば、夫が浮気した場合、潔癖症とあいまって、その憎しみが極端に増幅されます。その浮気が後腐れのない、その場限りの関係であったとしてもこれは変わりません。一度の浮気で即離婚というケースが、この時期には実に多いのです。 平均して、この時期は男女とも平凡な生き方は望めないでしょう。家族そろっての団欒を楽しむといった生活は難しいといわざるをえません。 とにかく、一つのことに集中するエネルギーはすばらしいものがありますので、技術を身につけると一芸にひいでた専門家になることもあるでしょう。 |
| 緑水星 (りょくすい) |
「善良」「奉仕」「義理人情」「回転財」を意味する星で、その本質は「愛情」「引力」です。 この引力という本能から、物質はもちろん人間を引きつける魅力が備わってきます。ですから、「緑水星」に支配されると、全般を通して財運、愛情運に恵まれた十年間となります。 ただし、財と縁があるといっても、「回転財」ですから、人によっては何でも手に入るか、それともすべてを失ってしまうかの、どちらかです。うまく回転させることができれば、どんどん財産が増えていきますが、回転させられるようになると、ひどいめにあうでしょう。 誰にでも好かれたい愛されたいという気持ちが強くなるため、一般的には恋多き人生を送ることでしょう。しかし、それだけに浮気とか不倫などといった異性関係でのトラブルを起こしやすいときでもあるのです。 性格も明るく、活動的になりますから、自然と人が集まってきます。休みの日でも友だちが押しかけてきて、にぎやかな笑い声が絶えないといった家庭になります。そして、この人間関係が、将来の大きな財産となるのです。 また、義理人情に厚く、面倒見も良くなりますので、親しい友人やお世話になった人などから頼みごとをされると、損得抜き、しかも二つ返事で引き受ける気っぷのよさがあらわれます。 さらに、茶碗一杯のごはんしかなくても、お腹をすかせている人がいれば、それを分けるといったことが自然にできるようになるのもこの時期です。このように、愛が奉仕や施しといった崇高な精神にまで高まると、ボランティア活動や福祉事業に一生を捧げる人も出てきます。「五徳」を磨くには、まさにぴったりの時期といえます。 |
| 大善星 (だいぜんせい) |
「家庭」「堅実」「蓄財」「温厚」を意味する星で、その本質は「保守」「引力」です。大器晩成型で、世の中の変化に関係なく、いつでも平均した力を発揮します。 「緑水星」と同じく「引力」という本質をもたっていますが、「大善星」の場合、人間が引き合ってできる最小単位である「家庭」に、その特徴がもっとも強くあらわれます。家庭は「蓄積」ということを意味していますが、これには経済力の蓄積はもちろん、愛情や精神の蓄積も含まれているのです。 「大善星」も愛情の星ですが、「緑水星」に比べると地味な愛といえます。華やかな恋愛とは対照的な「家庭愛」「家族愛」なのです。ですから、夫婦や兄弟、親子のきずなを大切にするときだと考えてください。 二十代の時期に「大善星」に支配されると、名実ともに結婚適齢期に、平凡な異性と平凡な家庭をつくっていくということになります。それだけに変化に乏しく、新鮮味に欠ける面がなきにしもあらずといっていいでしょう やさしさも人一倍強くなる反面、嫉妬深さも相当なものとなります。夫(妻)が何でもない異性とつき合っても嫉妬の炎を燃やしてしまうため、それがもとで家庭を崩壊することさえあるのです。 主婦の場合、この十年間はもっとも主婦らしく生きられる時期となります。子どもにとってはやさしい母、夫にとっては頼もしい妻になれるのです。まさに、典型的な良妻賢母といえましょう。家計のやりくりも上手になり、給料日前にサイフの中身がカラになるといったことは、まずありません。家庭や子どものことを安心してまかせることができますから、夫はなんの心配もなく仕事に集中できるようになります。 スピードはありませんが、用心深く、着実に生きていければ、人生の最後には勝利者となり、裕福な老後を過ごすことができるでしょう。 |
| 風行星 (ふうこうせい) |
「短期」「直情」「戦い」「行動力」を意味する星で、その本質は「迅速」「攻撃」ですから、世の中の動乱期に力を発揮します。 人間には生きていくために、外敵から身を守る防衛本能と獲物を取る攻撃本能が備わっていますが、「風光星」の場合は、攻撃本能がより強く出るのです。 また、「風行星」は「仕事の星」ともいわれています。エネルギッシュに活躍することができるときですから、二十代か三十代でこの宿命星の支配下に置かれるのが、もっとも望ましいのです。というのは、気力も体力も旺盛な時期と、「風行星」に支配される時期がピタリと重なると、自分の能力を最大限に発揮することができるからです。 また、「風行星」に支配される時期は、何ごとに対しても迅速を旨とし、誰から見ても惚れぼれするほどキビキビと行動するようになります。また、自信にあふれ度胸もすわってきますから、どんな逆境にあっても、へこたれたり逃げ出したりしません。 ただし、目が前にばかり向きすぎ、過去を振り返ったり反省したりすることをあとまわしにしてしまうため、ともすると勇み足をしがちです。要するに、単純に前に向かっていくだけですから短期決戦向きで、攻めたり退いたりといった、かけひきを駆使する長期戦はあまり得意ではありません。 いずれにしろ、「風行星」に“宿命大殺界”を支配されたときは、ジッとしていてはいけません。ともかく、積極的に行動すれば、こまかなミスはあっても、それを帳消ししてありあまるくらいの成果が期待できるはずです。 年代に関係なく、「風行星」に支配されると、多忙をきわめる十年間となります。発展と前進はあっても、落ち着きとか安定といったものには縁がないものと覚悟しておくことです。 主婦も含めて女性は、いわゆる姉御肌といったタイプとなり、何ごとも白黒はっきりさせないと気がすまなくなります。 |
| 大木星 (たいぼくせい) |
「自尊心」や「責任感」「名誉・名声」を意味する星で、その本質は「潔癖」「攻撃」です。「風行星」と同じく攻撃的な性格を持っていますが、「大木星」の場合、個人で立ち向かっていくのではなく、集団や組織を利用して行う攻撃なのです。 「大木星」の世界は、“役人の星”といわれるように、その生き方も常に集団の一員にふさわしいものになります。ですから、この星に支配されている時期は、集団や組織に対して反発や反抗することはまずないといっていいでしょう。 体制の中で生きる管理職に向いていますから、四十代、五十代の時期を「大木星」に支配されると、課長なり部長なりの役職をまっとうすることができるでしょう。 しかも、臨機応変の対応ができますので、業績を上げるため部下を一方的に締めつけるなどということはしません。そのため、部下の信頼は厚いものとなります。 二十代にこの星に支配されて結婚すると、相手の家から何らかの責任を負わされることがあります。たとえば、男性なら、養子として家業を継いでほしいと頼まれ、家業の再建のために働くことを強いられたりします。女性の場合は、夫の年老いた親の面倒を見るといったことです。 恋愛については、失恋してプライドが傷つくことを恐れるあまり、相手の本心がわからないうちは、自分のほうから正直な気持ちを打ち明けることを避けようとします。そのため、遊び相手はできるのですが、恋人はできにくくなります。 女性だったら、理想のタイプに固執するため婚期を逃すということもありえます。結婚すると、一般に夫を尻に敷く、“強妻”になりますが、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随なら、とてもいい夫婦になります。 |
| 火竹星 (かちくせい) |
「忍耐」「放浪」「改革」がこの星の大きな特徴です。内に強烈なエネルギーを持つ星で、その本質は「創造と破壊」「知恵」です。また、その知識欲と新しいものや未知のものに対する好奇心は、非常に強いものがあります。 一か所に根を張って生活するライフスタイルとは対照的に、放浪を繰り返したり、休む暇がないほど気ぜわしく動き回るようになります。したがって、「火竹星」に支配されたら、平穏無事な生活を送るのはまず不可能だと思ったほうがいいでしょう。 思春期や結婚適齢期にこの星に支配されると、男性ですと年上の女性に、女性なら年下の男性に魅かれるようになります。年の差の問題で周囲が反対しても、自然の流れに逆らわないほうが幸せな人生を歩むことにつながるのですから、むしろ、そうした相手を恋人や結婚相手にすべきなのです。 結婚に対する考え方も常識にとらわれず、恋愛から結婚へという常識的な発想はしません。ここでも、束縛されることを嫌う気持ちが強く出てくるのです。ですから、自分がその人を好きになれば、相手に夫や妻がいようが関係ないのです。このように、「火竹星」が支配している時期は、男女を問わず、恋愛もセックスも自由奔放に楽しみたくなります。 四十代から五十代にこの星があると、ものの考え方もそうですが、生き方そのものが変わってきます。冒険心が強く出てくるため、家庭が安住の場所とならず、外泊を続けたりといった不安定な生活になりがちです。熟年を過ぎた女性が不倫に走るのは、ほとんどの場合、この「火竹星」が支配している時期です。そして、十中八、九、年下の男性が相手となります。 主婦の場合は、「火竹星」の支配下にあると、戸惑いを感じると同時に気持ちと現実のギャップに迷うことが多くなります。ですから、適当に旅行したり、ショッピングでも芝居見物でもいいですから、ちょくちょく外出して動きのある生活をするように心がけると、心のもやもやも晴れるでしょう。 |
| 香創星 (こうそうせい) |
「知性」「伝統」「古典」「慈愛」を意味する星で、理屈屋といったイメージです。 「火竹星」と同じく「知恵」という本質を持っていますが、その内容はまったく正反対といっていいでしょう。「火竹星」は未知の世界にみずから飛び込んで新しい知識を吸収しようという体験的な知恵であるのに対して、「香創星」は脈々と伝えられてきた先人たちの知恵を受け継ぎ、それを正確に子孫に残していこうとするものです。 そのため、内容よりも形式にとらわれる傾向が強く、さらに、その内容を身をもって体験するというより、頭の中だけで理解しようとしますから、理屈のための理屈になりがちで、単なる理屈王で終わる恐れもあります。 思春期から結婚適齢期にかけての時期に「香創星」に支配されると、男性なら年上の女性と、女性なら年下の男性との縁が強くなります。 この点は「火竹星」と同じですが、とくに、女性は母性本能がより強く出るときだけに、年下の男性と一緒になりたいという気持ちが高まり、実際そうしたほうが無難です。 三十代から四十代にかけて、この星に支配されると、身内の問題に深く入り込みすぎ、自分のことより親戚などの面倒を見ることに懸命になることもあります。しかし、それが、いいほうにばかり出るとは限りません。簡単に保証人を引き受けたばかりに、思ってもみなかった借金の肩代わりをするハメにおちいったり、また、親戚や兄弟同士の骨肉の争いに巻き込まれたりして、自分自身の人生がメチャクチャになることもあるのです。 いずれにしても、この「香創星」に支配される十年間は、前だけを見るのではなく、常に過去を反省しながら、二歩進んで一歩下がるといった生活態度を心がけるようにしたいものです。そうすれば、波風の少ない平穏な生活を送ることができることでしょう。 |
| 十二支 | 解説 |
|---|---|
| 子 (ね) |
子は、時間でいえば真夜中の0時、季節でいえば冬(12月)、そして、方位は北に位置しています。真っ暗で寒い世界ですから、何事に対しても慎重にならざるをえません。ですから、警戒心が強いという言い方もできます。 ただし、子は陽の気を持っていますので、活発に動きまわる性質も備えています。しかし、これも警戒心が強いためにカンやひらめきが鋭く、かつ動きもすばしっこいのだと言えなくもありません。 また、子は五行のうち水性の質を持つとされます。水は「方円の器に従う」と言われるように、相手に応じて柔軟に対応するという性質を持っています。かと思うと、濁流となって堤防を破り、田畑や家を押し流してしまう力強さも持っています。 人間の性格になぞらえるなら、柔軟性や社交性に富んでいるものの、内面には強引さを秘めているのが、子生まれのもう一つの特徴といえるでしょう。 北は「目上、父親の場所」であり、「人生の先達の場所」でもあります。そこで、子生まれは威厳があって意思も強く、開拓者精神にあふれているという面も、持ちあわせています。 さらに北は、人間の「習得本能」をあらわす位置で、知識を吸収し、ものを創造する世界でもあります。 知的好奇心が旺盛で、知識の習得に意欲を燃やすタイプですから、知的な職業に就くと、成功する可能性があるといえるでしょう。こうした頭の回転の速さと、警戒心の強さが合わさると、「知恵による守り」となります。 したがって、子生まれの人は何事に対しても警戒心が強く、こまやかな心づかいとシャープな観察力・判断力も備え、どんな環境にも順応する柔軟性も持っています。また、行動的でつねに前に進もうとするところから、一ヵ所にじっとしていられないのです。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 丑 (うし) |
時間は真夜中の午前2時ごろで、新しい一日がスタートしたものの、まだまだ先は長い時間帯です。丑は、季節でいえば1月。1月は睦月ともいうように、むつみ合う和合の月です。 いってみれば、暖かいコタツを囲んで一家団欒しながら、来るべき春を待ちつつ、内部にスタミナを蓄積している時期、どんな重荷を背負ってもへこたれない力、最後までやり遂げる粘り強さをたくわえる時期なのです。 子と同様、時間は真夜中、季節は冬、方位は北ですから、警戒心が強いという特徴を持っていますが、子の陽に対して丑は陰なので、かなり様子が異なります。 陰には「静」、あるいは「守り」という意味がありますから、行動はあまり活発ではなく、つねに受身の姿勢です。 また、陰には「情」という意味もありますので、人情味たっぷりの愛情豊かな人といえましょう。そこから、落ち着きや思いやりといったイメージが浮かび上がり、丑生まれの重厚さにも結びついていくわけです。 丑は五行のうち土性で、土性は「魅力の世界」を表わしています。そのため、丑生まれの人は、生まれながらに大衆を魅きつける人間的魅力を備えているようです。しかも、陰の気を持つことから、どちらかというと女性的な感じがします。 一般に男性が攻撃的なのに対して、女性は守りが固いぶん、ひじょうに芯が強いのが特徴です。この内面の芯の強さ、内側から輝く魅力が、丑生まれの特徴にもつながっているといえましょう。 したがって、丑生まれの人は警戒心が強く、行動も慎重で、大衆の中での「団結の守り」に強い力を発揮します。また、愛情や人情味にあふれているところから、精神的な面での信頼を得て、多少の困難にぶつかっても粘り強く着実に人生を切り拓いていく力を備えているといえるでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 寅 (とら) |
寅は、一日の時間でいえば午前4時から6時の間、季節は2月で、寒さで凍った土が融けはじめ、草木の新芽が、陽春を待ちわびて顔を出そうとしている時期にあたります。 そこから、寅生まれの人の特性は、とにかく勢いがあるということでしょう。いったん言い出したら、絶対あとに引かず、何かを始めたら一気にやり遂げなければおさまりません。 用心深く見えても根は楽天的で、「朝のこない夜はない」というのが信条です。そして、燃えたぎるような情熱で何事にも積極果敢にチャレンジします。しかも、寅は陽ですから、動きが形となって現われ、成長の速度が手に取るように分かる特質を備えています。 しかし、その芽はまだまだひ弱で、少し力を加えるとポキンと折れてしまいますし、霜や突風など、環境の変化に意外ともろい面もあります。つまり、寅生まれの人は本質的に、足元をすくわれやすい弱点を持っているのです。 また、寅の方位は東北東で、東西南北の四方に分類すれば東となります。この東は「前進の場所」であり、「母親の場所」でもあります。五行のうちでは木性の質を持ち、「人徳第一の奉仕の世界」と見ます。 ですから、寅生まれは母親のような愛情と思いやり、そして徳性によって人に奉仕する世界で成功する可能性を秘めている、といえるでしょう。 奉仕は、つねに人間交流の中に生まれますから、寅の守備本能は「交流の守り」ということになり、幅広い人脈を形成することにって、自分を守ろうとします。 古代中国では、「寅生まれは大器。政治、経済に吉」と言われましたが、きちんと徳を積んで大衆に奉仕するという心がまえを持つなら、寅生まれの人は政治家や実業家として大成することができるでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 卯 (う) |
時間は、午前6時から8時のあいだで、いままさに、太陽が地平線から顔をのぞかせようとする時刻です。季節は春3月。太陽が出るところですから、もちろん方位は東です。 さて、卯も寅と同じように、東方の気で木性の質を持っていますが、寅が陽なのに対し、卯は陰の気です。この陰と陽の違いは女性と男性の違いと考えればよく、「女性的な奉仕」という意味が含まれています。 男性の奉仕の場合は、大勢の人への奉仕となりますが、女性の奉仕は、夫や子どもなど、個人への奉仕となりますから、「個人的に奉仕する」「楽しませる」「助ける」といった特質を持つことになります。 また、東の方位は「母親の場所」ですので、古代中国人は卯生まれの人の特性を「慈愛の奉仕」とも言いました。 現代では、慈愛という言葉を「思いやりを込めて愛する」「かわいがる」という意味に使っていますが、古代中国では、水が草木を生き生きと生長させるように「有形のものを育てる」「はぐくむ」という意味で使っていたといわれています。 そこで、卯生まれの人は、慈愛にあふれる温かなやさしい心を生かして、人々の気持ちをなごませたり、安心を与えたりする仕事、たとえば医者になって、無医村や発展途上国で、病気で苦しんでいる人たちを救うような仕事をすれば、信頼と尊敬を一身に集めることができるでしょう。 寅生まれの人は、陽の気質そのままに委細かまわず強引に突っ走るタイプですが、卯生まれの人は敵を作るのを何よりも嫌います。ですから、どんな場合でも、けっして強引な態度や一方的な行動はとりません。 したがって、卯生まれの人は、どちらかというと行動は受身です。そのため、人の言うことはなんでも聞く、イエスマンだと見られることもあるでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 辰 (たつ) |
古代中国の書物に、「辰は震なり、三月陽気に動き、雷電振るう。民の農時なり、物皆生ず・・・・・・」とあるように、辰は大地の陽気が活発になること・・・・・・つまり、地上のすべてのものの動きが活発になり、さらに勢いが強まることを表わしていました。 これを一日の時間に当てはめれば、朝日がようやくその輝きを増そうとする午前8時から10時のあいだ、季節は春4月です。先にあげた書物では3月となっていますが、当時は旧暦ですから、現代では4月となるのです。 さらに方位は東南東(東)となります。 陽春といえば、大地には陽炎が立ち昇り、水平線には蜃気楼が見られます。今まで大地や水面下に閉じこめられていた陽気が、いよいよ外に出て活発に動き始める季節です。 この陽炎や蜃気楼は実体がないのですから、つかみどころがありません。したがって、古代中国の人たちも、辰生まれの人にこのイメージをそのまま当てはめました。すなわち、スケールの大きな夢想家で、いつも冒険やロマンにあこがれており、淡白で物事にこだわらない大らかな性格の人としたのです。 さらに五行では辰は土性の質ですから、丑生まれと同様、生まれながらに大衆を魅きつける人間的魅力を備えています。 丑が陰で、家庭など愛情の世界で魅力を発揮するのに対し、辰は陽ですから男性的な世界、つまり社会や組織でその魅力を発揮します。 しかも、辰には物事の中心とか、天に昇るところという意味もあり、これを人間に当てはめると社会や組織、団体などのリーダーになれるということでもあります。 ですから、辰生まれの人は何を考えているのか分からないようにも見えますが、ひとたび活躍の場を得ると、自分の持っている力を十二分に発揮して、大成功をおさめる可能性を秘めているのです。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 巳 (み) |
巳は、時間でいえば、いよいよ一日の活動が本格的に始まる時刻(午前10時から正午)を指し、季節は新緑も鮮やかな5月、方位は南(南南東)です。 もともと巳には「起こる」とか「奮起する」という意味がありました。つまり、あらゆるものが成長発展する季節、自然界が活発に動き出し、伸び育つ様子を表わしていたのです。 ですから、巳生まれの人は、ともかく貪欲なまでの向上心があり、実力以上のことにも挑戦して、それをやり遂げようとします。 どんなに困難に直面しても、また大きな抵抗にあっても、それに屈しない強い精神力の持ち主です。さらに、巳生まれの人は、慣習や伝統といった枠にとらわれない自由な発想も兼ね備えているのです。 十二支の中で、巳と午は火性の質を持っていますが、午の「陽火」に対して、巳は「陰火」となります。 陽火は真夏の太陽のようなカッとした暑さのことで、一方、陰火はコタツのほのかな温もりや囲炉裏火のように、人にほっとした安らぎを与える温もりのことを意味します。 そのため、巳生まれの人は周囲に安らぎと温もりを与え、精神的に落ち着かせる雰囲気を生まれながらに身につけているのです。 また、愛情豊かな人が多いのが特徴で、人間愛によって、多くの人たちを悩みや苦しみから救いたいという気持ちを、いつも心の中に持っています。 そして火性には、「報道、伝達、自己表現の世界」という意味がありますので、文字や音楽、映画などを通して、自分の世界を世の中に伝えたいという欲求があります。ですから、作家や画家などの芸術家や、政治家になると、歴史に残る作品や業績を残すこともできるでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 午 (うま) |
午も巳と同じく南に位置し、一日の時間に当てはめれば真昼(正午から午後2時まで)で、季節でいえば、初夏6月です。 植物がぐんぐん生長し、その生長に必要な太陽の恵みも一年中、また一日中でもっとも盛んな時期、時間帯を表わしています。もちろん、太陽に光が一番強くなるわけですから、方位は真南となります。 この南の方位には「子どもの場所」という意味があり、そのため午生まれの人は「隠しごとができない」「秘密を持てない」という性格を持つことになります。 よくいえば開放的で、どんな人とでも分けへだてなくつきあうことができますので、友だちがたくさんいるという人になるでしょう。 さらに、午は陽の気質を持っているため、活発で行動力にあふれ、人に遅れをとることがガマンできない負けず嫌いですし、さんさんと輝く太陽そのままに明るく、人生に対する取り組み方も積極的です。 五行では、午は巳と同じく火性ですから、「伝達本能の世界」に属しています。しかも、陽の気なので、「表現による煽動」あるいは「広報活動のうまさ」といった性格も備わっています。 そのため、午生まれの人に適しているのは、たくさんの人たちをリードして、一つの方向にまとめていく仕事といっていいでしょう。たとえば革命家でも、ただ理論を振りかざすだけでなく、みずから先頭に立ち、実際の行動を通して大衆を指導していくタイプです。 しかし、「表現による煽動」には「騒ぐ」「性急」といった意味も含まれています。そのため、状況をよく把握しないまま周りの人たちを巻き込んで、ただ騒いだだけで終わってしまったということにもなりかねません。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 未 (ひつじ) |
未という字は「いまだ〜あらず」と読むように、行動の前のひと休みという意味を持っています。季節でいえば夏7月、植物はすっかり生長して、いよいよ実りを迎えようとするときです。一日の時間でいえば午後2時から4時という昼過ぎの休みのひととき、方位は南(南南西)にあたります。 しかし、実りを迎えようとする季節は、収穫への期待とともに、台風は来ないか、虫はつかないか、水不足にならないか・・・・・・といった、さまざまな不安や心配もある時期といってもいいでしょう。 そして、下草などの雑草処理や防虫対策、貴重な水の管理と、毎日毎日、それこそ汗まみれ泥まみれで働かなくてはなりません。 そこで、未生まれの人には、そうしたたゆむことのない地道な行動力と忍耐力が、生まれながらに備わっているのです。 人当たりのいい外見からは想像できないほど芯が強いので、補佐役や参謀役、あるいは人生の女房役といった、どちらかといえば裏方的な役割や仕事が適しているでしょう。 なお、未は丑と同様、陰の気と土性の質を持っています。丑と違うところは方位だけで、丑が北に位置しているのに対して、未は南に位置しています。 ですから、未は丑と同じく「魅力の世界」に住み、また女性的・家庭的な人間の魅力を発揮しますが、未生まれの持つ魅力の世界には集団での「遊び」とか「祭り」「祝い」といった意味も含まれています。 結論としていえることは、未生まれの人は表面はおとなしいのですが、内に秘めたファイトや芯の強さは相当なものがあります。また、のんびりしているようで、すべてに対して周到な気配りも忘れません。そして、世の中の動きを先取りする才能も持っているのです。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 申 (さる) |
申という字ににんべんをつけると「伸」となるように、人が個性や才能をどんどん伸ばしていくことを意味しています。また、伸縮自在で柔軟性のある考え方や、行動力にも通じます。 ですから、申は季節でいうと真夏の8月で、植物がまさに結実しようとしている時期を指します。時間でいえば、午後4時から6時のあいだの太陽が西に傾く時間帯、方位は西(西南西)です。 ところで、伸びるというのは、いい方向へばかり伸びるのではなく、悪い方向へ伸びることもあります。動物でも植物でも、あらゆる生物は生長が止まれば、あとは下り坂に向かいます。そうした意味では、いい方向へ伸びることは、同時に悪いこともそこから始まっているともいえるわけです。 さらに、午後4時から6時という時間帯は、太陽が出ていれば暖かいのですが、陽がかげると急に気温が下がるように、どっちつかずの時間帯でもあります。こうした二面性を備えているのが、申の時間であり季節なのです。 そのため、何事にもトラブルをなくすには、太陽の出ているあいだに、やるべきことを素早く済ませなければなりません。ここから、申生まれの「機を見るに敏」な性格が生まれました。 申は、五行では金性の質を持っており、また「攻撃本能の世界」に属しています。申生まれの人が一ヵ所にじっとしておられず、つねに動きまわっているのは、ここからきているのです。また、申は陽の気を持っているので、その性格は明るく、つねに前向きに生きていこうとする積極性があります。 そこで、申生まれの人は、時代の転換期や動乱期などには進むべき方向性を見出すことができますから、大衆や組織をリードしていく立場に立つと、その才能を存分に発揮して人々を幸福に導くことができるでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 酉 (とり) |
酉は、季節でいえば収穫の秋、9月です。一日の時間では、日没の午後6時から8時までに当たり、太陽が沈むところですから方位は真西となります。 古代の人たちにとって、夜というのは昼間とはまったく別の世界になるものと考えられていました。 陽が落ちると夜行性の動物が活発に動きはじめ、闇の中から突然人間に襲いかかることもあったでしょう。火だけが唯一の明かりであり、武器でもあった当時の人々にとって、明かりの消えた闇の世界は、文字通り恐怖の世界であったはずです。 人々は、ちょっとした動物の鳴き声や木々のざわめき、虫のさえずりに耳を澄ませ、闇の世界の状態を懸命に読み取ろうとしたことでしょう。 そこで、酉生まれの人たちは人一倍情報に敏感な能力、つまり、ある種の予知能力を身につけているといえます。ですから、総じて先見の明があり、時代を先取りする感覚は抜群のものがあります。また、先がある程度見通せるため、行動は計画的で几帳面、しかもムダがありません。 ただし、先見の明がアダとなって、せっかちとなったり、気をまわしすぎて周囲から浮き上がって孤立してしまうこともあるのです。 なお、酉も申と同じく西に位置し、金性の質を持っていますが、申が陽で酉は陰ですから、同じ「攻撃本能の世界」でも、申の「武人・武官」に対して、酉は「文人・文官」のイメージが与えられています。 つまり、武人や武官のように軍隊や武器を使って攻撃するのではなく、経済的な締めつけや、外交上の条約、法律、あるいは情報などを使って攻めるわけです。 こうした本性を持つ酉生まれの人に適した役割は、先を見通す力と几帳面さに加えて、人当たりのよさを生かした“まとめ役”が、どんな世界であっても、ぴったりと当てはまるでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 戌 (いぬ) |
戌は、時間でいえば午後8時から10時まで、方位は西(西北西)、季節は中秋の10月。野も山も、絢爛さと寂しさが隣り合わせている凋落の前の美しい時期です。 この中秋の季節は草木が繁茂、生長しきって、熟した実が落ちようとするときで、生長・発展・分化の象徴である陽の気が頂点をきわめ、やがて地下に入ろうとする直前だと思えばいいでしょう。ただし、まだ完全に生長が止まったわけではなく、草木自体には多少の生気が感じられる状態です。 そして、こうした樹木が冬の厳しい寒さに耐え、翌年の春に芽を出すためには、それなりの準備が必要です。つまり、不必要な枝葉を落とすことで、大事な根を守るわけです。 言い換えると余分な枝葉を犠牲にすることで、その根は生き続けることができ、翌年の春には、また新しい芽を出すことができるのです。 そこで、戌生まれに人は、自分がいったん心を許した相手に対しては、一生涯変わらぬ友情を持ち続け、自分からはけっして裏切らないという気質を備えているのです。とくに、自分の主人や尊敬する人に対しては、どんな犠牲を払っても、あくまで忠誠を尽くします。 また、戌は陽の気と土性の質を持っていますので、明るく活動的で人なつっこい素直な性格、そして大衆を魅きつける人間的魅力があり、セックスアピールにもあふれています。 ですから、戌生まれの人は、素直で明るく誰からも好かれる性格の持ち主です。しかも、西の方位は「補佐役の場所」という意味もあり、忠誠心がより強く現われますので、共同事業のパートナーとしては最高の相手です。 欠点を挙げるとすれば、あまりにもお人好しすぎてだまされやすいこと、やや主体性に欠けるといったところでしょうか。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |
| 亥 (い) |
亥の位置する方位は北(北北西)、一日の時間では夜の10時から12時まで、季節は、晩秋11月です。11月という時期は植物の果実が堅い核を形成するときで、古書にも亥は「百物を収蔵す」とか「物皆堅核と成る」と書かれています。つまり、亥は核(植物の種子)という意味があったのです。 植物の種子は地中に入って、翌年の春に向けて芽を出すエネルギーを蓄えます。そこから、亥には「根ざす、きざす(兆す・萌す)」という意味も生まれました。 また、11月といえば、本格的な冬を迎えるための準備の時期でもありますから、万全を期して何事に対しても「備える」という意味合いにもつながっていきます。 亥生まれの人の特質や本性を見る場合も、こうした亥の持つ意味を当てはめて考えるといいでしょう。 すなわち、核とか芯、人間でいえば信念をしっかり持っている意志強固な人となります。ですから、何事に対しても自信にあふれた態度で臨み、自分のグループをぐいぐい引っ張っていくリーダーシップも備えているのです。 なお、亥の五行は子と同じ水性の質を持っています。「水は方円の器に従う」といわれるように、ひじょうに柔軟性があります。 また、北の方位は「習得本能の世界」でもありますから、亥生まれの人は、総じて頭の回転が速く機転が利きます。 ただ、子が攻撃的だったのに対し、亥は不用意に自分から攻撃をしかけたりすることはありません。逆にいえば、亥生まれの人が攻撃をしかけるときは、本当に怒ったときで、それだけ相手にとっては脅威となるはずです。 そういう亥生まれの人に適した仕事や役割は、やはり知識の習得に強い興味を持ち、それを人間愛として伝えたいという思いがありますから、画家、音楽家、詩人、文筆家などの芸術方面がいいでしょう。 なお、生年より生月、生月より生日のほうが、より深く、その人の気質・性格に影響を与えます。 |